先日、こんなインタビューを見た。
今は予約も取りにくいフレンチの料理人が長い時間をかけて気づいたことを話していた。
独立したばかりの未熟とも言える自身の料理に納得もいかず、お客に提供していたが、お客は「美味しい」と
感嘆の声を上げる。自身が納得していないので、そんなはずはないと心の中で呟く。
その後も研鑽を積み納得の料理が、いつも提供できるようになり、お客に提供すると「美味しい」と感嘆する。
笑顔で、ありがとうございますと言いながら、そりゃ そうだろうと心の中で呟く。
でも満たされない。それが何なのかわからない。
ある日、知人に誘われて、お茶を習うことになった。
やっと作法を覚え、細かい所作に底通するものを心から分かった時、
仕事に充足感が感じられない理由はこの事かもしれないと感じた。
お茶は主体側の作法はもちろん、客体にも作法を求める。作法は心の現しで上下関係なく
お互いへのリスペクトが底通する。
料理を提供した時に料理の写真を撮られたり、過度なテンションであったりすることが
自身の真剣さとのアンバランス、主体側だけの提供となっていた。
堅苦しくするのではなく、料理人も客体への尊敬の念をさらに持つことと
客体にも作法を柔らかく促すことによって、客層も変化し、料理人自身も満たされた想いで
仕事をしているという心の話。