信号待ちで右レーンに引越のサカイのトラックが止まった。

愛らしい白に黒。あゝもう君はいないのか。

もっともっと

自分の足元を見て云えという台詞は人類学者・宮本常一(1907〜1981)の「忘れられた日本人」の中にある。

昭和14年以来、全国をくまなく歩き民間伝承を克明に調査した。老人や女性達がどのような環境で生きてきたかを

古老自身の語りもあり生き生きと身直に感じる文体だ。

村の決め事をするには長老から若いものまで集まり決まるまで何日も話をする。

血気盛んな若いものは、主張する。その時に長老が言うのだ「自分の足元を見て云え」と。ちょっと自分も心してみる。

ほんの僅かな時代の経過で人間行動も随分と変わってしまう。

先日、電動丸鋸を落とし破損したので修理に出したが、部品がないので直りませんと返ってきた。

買って数年だったが、近年は商品サイクルも早くパーツ自体、長期にストックしない。

もったいないので鉄工所でパーツを作り復元した。

多くは直せれないのではなく直さない時代。

ナビに道案内してもらう方向感覚の、いつの間にかの喪失。

AIへの受け身は深く長く考える力の、いつの間にかの喪失。

電気がないとままならない時代。途絶えたときは知恵のない原始を味わう。

作戦という名のもとに殺戮は続くが宗教は何も言わない。

人はどこに行くのだろう。

垂れ下がる糸をつかめ 足元などみていられない もっと沢山 もっと早く もっと誰よりも と。

2輪に跨り、しまなみ街道から愛媛県東温市の滑川渓谷、高知の牧野富太郎記念館、竹林寺を巡ってきた。

庭に滑らかな水路を作る要望から、滑川渓谷特有の川床を参考にするためだ。

砂礫岩が渓谷の土台で削られ易く、滝など落差のあるところなどは甌穴と言い、滑らかに丸く深く窪んでいる。

前の滝、中の滝、奥の滝と1キロに渡り散策できる。川の両側も大きく削られ大きな生き物が横たわっているように

見える。これは龍の腹と呼ばれているがスケールが大きく名の通り以上の自然の畏怖を感じる。

砂礫のため他の名所にはない景観だ。

 

5時間滞在して30年ぶりの高知の宿に向かう。

いつ、どこへ旅に出ても現実感がない。いつも帰って記憶を反芻し、なぞりながら定着させる。

夕食はフラフラと地元の人が集まる店に行く。高知人は楽しい、今日は当たりだった。

翌朝、五台山竹林寺に行く。

開創724年 明治の廃仏毀釈は避け難く衰微したが復興整備で盛り返す。

新しい建築も建てられ垣根やらに多くの庭師が仕事をしていた。

宝物館の中には藤原から鎌倉時代の仏像が奉安されている。

阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、千手観音立像・・

20畳ほどに独り。誰も入ってこない静かで濃厚な時間と空間。

竹林寺納骨堂 日本建築学会賞2016年

納骨堂内の経路には、わずかな傾斜がある。入り口幅、天井高さは人間独りのスケールで

納められ、籠る感覚が全体にある。

 

牧野富太郎記念館と植物園は一日居ても飽きさせない。牧野博士の巨人ぶりを堪能できる。

小さなライブラリーに設計者・内藤廣の『建築の難問』という本があった。

読み耽るほど興味深い。その本の中に出てくるスペインの哲学者オルテガを今は読み耽る。