事務所に建築関係への無作為な一通のFAXが届いた 題名は「砂ができるまで」
企業学習ポイントが加算される制度のようだが、そんなことは関係なく遠足みたいな気分を味わいたく申し込んだ。
出発時、高梁市の目的地をGoogleマップに入れると15分前には到着予定とあった。
高速道路を進むにつれ、どんどん到着時間が増してゆく。
Googleおかしくなっとる・・・ではなく九州方面に向かっていた。
「俺大丈夫か」と呟き最寄りインターでUターンした。
予定より遅れて現地入りすると「他の方はもう山頂に行かれていますので!急いでこの車で登って行きましょお!」
と軽トラでかなりの急勾配と崖の淵を飛ばし車が跳ねる。助手席からは奈落がよく見える
「ここはね!冬になると!命がけで!登り下りするんですよ!」今でも十分に命がけと思う。
この写真は山頂から一つ下りたところで、頂上から重機が大きな石を転げ落とす。
次は転げ落ちた石を集めて粉砕機械に投入する。
この洞窟の奥に機械が据えられている。
洞窟内は暖かく、岩盤をくり抜いた空間は30坪の2階建て住宅がすっぽりと入りそうだ。
砕石には湿式方法と乾式方法があるらしく、ここは湿式方法で水を加えながら砕石工程を進めるので
粉塵が立ちにくく塵肺発生も低い。
この洞窟にはコウモリが、たくさん棲みついていたらしいがここ数年見かけなくなったらしく
人間側から見た環境変化もなく理由は判らないらしい。
砕かれた石は水と共に、コンベアーで運ばれ規格ごとの砕石機械を通りながら
サイズに振り分けられていく。
下の空間は最終工程で、水と石の粒子が混ざった汚泥の水分を抜き取り粘土状にして排出する。
その後セメントやスラグと撹拌乾燥すると直径20ミリから5ミリほどの硬い球体になる。
建築材料や再生砂など用途はありそうだが、特に商品化はされてないようだ。
下流で集められた水は、上流へとポンプで送られまた石を磨いていく。
この数ある設備を賄う電源は下流近くに巨大な船舶用エンジンが3基据えられている
船舶用エンジンなので大きな水冷用プールが横に付属している。
「エンジンオイルが船舶用なのでオイル交換高いんですよー」と工場長。
創業はおおよそ100年の成羽砂利さん。先代は高梁川ほとりの砂利販売から始まったらしいが
最近は官公庁が再生砂を奨励しているので需要は目減り傾向らしい
代替品が出ることにより地域産業も衰退するが、2次的なインフラとしても存続してほしい。
仕事が終わって夜10時。
河川土手を時速20キロで窓を全て開けて走る。たまに追いつかれる車を先に遣りながら。
土手の左右に茂る草叢から虫の音。
エンマコオロギ マツムシ ヒメギス カンタン マダラスズ ササキリ
比べようもなく最上の音。
激烈な暑さに想う。崖に向かう成長主義、偏ったデータしか使わないGDP、繰り返す戦争、複雑で空虚な世界。
山口周に始まりジェイソン・ヒッケルからロビン・ウォール・キマラーへそれぞれの文献に従い連読してみた。
クリティカル・ビジネス・パラダイム /山口周
観念の枠の中でものを考えることしかできない。ほぼ疑いもしない「そうゆうものだ」「仕方がない」「あゝめんどくさい」
成長こそ正義だと時間とエネルギーを盲目に注ぐ。これは自身だ。
クリティカル(critical)は批判的・危機的。語源はギリシャ語「krinein]で「分かれ道」を意味する。
対義語はアファーマティブ(affirmative)で肯定的。ビジネスでは従来の価値観の延長線上に価値をおき
顧客の声に耳を傾け欲望を肯定的に受け入れ関連の利益を最大化させる。
この中には計画的陳腐化(早く壊れるようにする・修理はできないから早く買えという)も含まれる。
クリティカルビジネスでは価値観を批判的に考察し今までとは違う価値観を提案すること
社会運動・社会批判としての側面を持つビジネスであり社会変革の力さえ持つ。
そのような企業も紹介してあり、よく知る企業もあった。
「私たちの社会は、人々の心身を消耗させ、地球環境に甚大な負荷をかけながら日々、膨大な量の物品を世の中に送り出している訳ですが、これらの品々の中に、私たちが本当に次の世代の人々に是非とも譲り渡していきたい、私たちはこうゆうものを作ったのだと誇りを持って伝えたいと思えるようなものを生み出せているかどうか
美意識も倫理感もない大衆の欲求にルーズに適応することで生み出されたこれらの商品が、人々の生活の舞台である社会の風景を織り成し、子供たちがそれらの商品に日常に触れることで、感性はさらにルーズな方向へと教育され、美的センスの社会的なスタンダードは長期的にズタズタにされることでしょう」
基底には「遠くの他者」「未来への他者」への共感がある
資本主義の次に来る世界/ジェイソン・ヒッケル
子供時分、父親と車に乗って移動すれば全面にびっしりと虫が付き、それを掃除すことが自分の役割だったが
最近は長距離移動しても虫が付く量も比にならないというくだりから始まる。気候変動を基に人の在り方と成長主義の本質を問う。
1500年以降、西洋が南半球でしてきた搾取(強奪と人殺し)の歴史をその時々の思想家、哲学者の影響と結び付けながら
現代までの名残りと変わらぬ体質を解く。
その体質と増えすぎた人口はやがて後戻りできない気候変動の分岐点ジャガノートを迎える。
ジャガノートはヒンズー教ヴィシュヌ神の8番目の化身クリシュナの異名ゆえ圧倒的破壊力、止めることのできない巨大な力。
消耗し疲弊する成長主義。デカルトの二言論から脱出し人も自然の一部分であることに立ち返ることは
サブタイトルのLESS IS MOREの思想に還る。資本と貧困についても深い考察がある。
「資本主義のシステムは人間のニーズを満たすのではなく満たさないようにすることが目的なのだ」
「貧困とは、個人が余剰労働力を持たない状態、すなわち個人が財産を持たず、生計を立てるには勤勉に働き続けるしかない状態を指す。故に貧困は社会において必要不可欠な要素であり、貧困がなければ、国家とコミュニティーは文化的な状態を維持できないだろう。それが世の習いだ。貧困は富の源である。なぜなら、貧困でなければ人々は働かず、金持ちは存在せず、富の所有者たるべき人々にとって、改良、快適さ、利益は存在しないからだ。パトリック・コフーン(スコットランド)」
植物と叡智の守り人/ロビン・ウォール・キマラー
植物学者でありネイティブ・アメリカン/ポタワトミ族出身
文献からの流れなので前の二冊と同じ「遠くの他者」「未来の他者」が基底だが
ネイティブ・アメリカンの引き継がれた身体性のある教え、人だけが人にあらず、木の人、川の人と
全て同一線上のアニミズムが徹底して敷かれてある。
入植してきた西洋に強制排除され思想去勢をもされた世代の話から我が娘たちの話など自分自身の歴史を軸に
植物の驚くほどの能力、植物同志の互恵性、植物と人の互恵性を植物学者の知識とアニミズム精神で解く。
自然の表現の描き方が、とても美しい。目前に形と色彩、身体で感じられるような情景が広がりいつまでも頭に残る。
問題提起についても押し付けがましくなく、本来の人の立ち位置をそっと提示する。