Architecture

寺務所

寺務所の棟上がる。

花屋

花屋への改修工事。

『花を置く』。余計が無いも楽しい仕事

禅寺 

広島県福山市の神勝寺『禅と庭のミュージアム』広大な敷地の中に伽藍や茶室、インスタレーションが点在する。

総門をくぐると左にある寺務所 松堂(藤森氏設計)
屋根は銅を手で曲げ葺く。

一来亭 千利休が最小を求めて造ったが、秀吉は嫌ったという一畳台目。身を入れてみたが間合いを超えている。
現存せず資料により中村昌生氏の監修で再現した。

洸庭 (名和晃平氏/SANDWICHI設計)内部は闇の中にある水、波、かすかな光、全感覚的に禅を体感するインスタレーション。調整中のため閉館だった。
全身に檜のこけら葺きを纏う彫刻建築。

本堂脇の荘厳堂内にある多数の白隠(禅中興の祖)コレクション。
『暫時不在如同死人』晩年は形には拘らずに書いた。
現代人が忘れがちな中今を生きるに通じる。

 

vaglangd

先日15日に竣工した住宅の母屋と離れ。
母屋に作った天窓は光の波長が短い朝の仕様にした。
海の底から見上げた色調になった。

離れの入り口は両開きに。その内側にステンレス格子で挟んだ防虫網を引き戸にした。

Re 小庭

3年前に竣工したcalmeの小庭の刷新。
上部は開放して夜露が入るようにしてある。植物が育つ重要な役割があるが
近年の短時間での雨量の多さは困りものだ。

水苔が環境に合わず傷んでしまったので全て除去をした。
庭の高さも少しあげて作り直す。

痩せた黒土を全体に使い、木々の間に雑草も混ぜて植える
飾らない素朴な自然の切り取りです。
雨が降ると高低差によって溜まりながら流れていくようにした。

 

JA西大寺

JA西大寺 ROR co.,ltd(ロール株式会社)

2017現場の往き道中、カーブを曲がったあとサイドミラーに小さく映る姿がモンサンミッシェル。

機能が積み上がっただけの建物。

富貴寺

大分県の国東半島にある国宝富貴寺ここをメインに寄り道しながら回ってきた。

 

広島県福山市の瀬戸内海に面した造船会社の社宅

SETO  原田真宏+原田麻魚

斜面に建ち接道から17段上がると屋上がパブリックスペースに。

海側はキャンティとなって浮いている。

コンクリートとコールテン鋼。

東西の窓には洗濯物が干され人の存在を感じるが

それを忘れるぐらいの廃墟感。

SETO Living Nine

SETO Living Nine

SETO Living Nine

SETO Living Nine

 

ここから歩いて3分

同じ造船会社の社宅

せとの森住宅  藤本壮介

木造13棟 26戸 規格、屋根勾配同寸

日本集落を抽象的に表す。

ステンレス波板が全ての仕上げ。屋根が白いのは

空を映しているからで壁は山の緑が映り込む。

せとの森住宅 Living Nine

せとの森住宅 Living Nine

せとの森住宅 Living Nine

せとの森住宅 Living Nine

この2ヶ所の建築も素晴らしいが

社宅としてこの時代に思想のある建築を依頼した会社が素晴らしい。

 

 

広島市環境局中工場  谷口吉生設計研究所

ゴミ処理場。

海岸まできれいに整備され廃棄物処理場を感じさせるものは

1周回っても見受けられない。ただただデカい。

広島市環境局中工場 Living Nine

広島市環境局中工場 Living Nine

広島市環境局中工場 Living Nine

 

広島市 世界平和記念聖堂   村野藤吾

 

時間がゆるすならいつまでも居たい場所。

世界平和記念聖堂 Living Nine

世界平和記念聖堂 Living Nine

世界平和記念聖堂 Living Nine

世界平和記念聖堂 Living Nine

世界平和記念聖堂 Living Nine

 

大分県国東半島に入り気になる構造物発見。

建築面積100坪は楽に超える物体

量感と荒々しさと建築物が無口すぎるので怖い印象。

掩体壕(えんたいごう)です。第2次戦時中、航空機を空爆から守る格納庫で

左右の長さは主翼からくるフォルム、小さい山は尾翼側。

負の遺産だが、いつまでも残したい建築物。

掩体壕 Living Nine

掩体壕 Living Nine

掩体壕 Living Nine

 

国宝 富貴寺(718年)

何年か前 アサヒビールのCMで福山雅治が

この前で天を仰いでいた。

富貴寺 Living Nine

富貴寺 Living Nine

富貴寺 Living Nine

富貴寺 Living Nine

総榧つくり (将棋盤によく使います)

3間4間 宝形屋根

軒の出と柱の長さがほぼ同じで

このプロポーションが成立している。

時間のゆるす限り居たが離れるのが名残惜しいとは

このことでした。

富貴寺 Living Nine

鬼門側より

chaconnee

chaconnee Living Nine

ご縁を頂き名古屋に洋服のお店を作らさせていただきました。

オーナーの姿勢、素材(糸)を重視した服。

この場所を選んだ理由、近隣のお店との関連性。

お聞きした事を巡らせるとあまり作り込まずオーナーの思いの中枢が

現れたらそれでいいと思いました。

写真ではまだ洋服は入っていませんが、夕暮れ近くに工事が仕上がり、それから

家具をセットし照明の向きを検討して最後にオーナーに座ってもらいました。

この度は店舗ですが住宅についても家の佇まい、玄関の顔は住まう人を表します。

なにも作品を作っているわけでもないのですが土地と住まう人の背景が混ざり

街並に心地よさを出してくれたらといつも思うのです。

イタリアの建築家カルロ・スカルパ(1906〜78)

その仕事をいつか現地で体感したいと長い間焦がれながら、いきおい行ってきた。

カルロ・スカルパ Living Nine

ベネチア空港に降り立ち、ヴェローナにあるカステルヴェッキオへ

14世紀に造られた城を美術館に改修したもので、スカルパが着手する以前に2度改修されているが

成果のない内容だったらしく1958年、6年の歳月をかけ現存の形、観覧経路になった。

カルロ・スカルパ Living Nine

跳ね上橋から城内中庭へ。

カルロ・スカルパ Living Nine

カルロ・スカルパ Living Nine

カルロ・スカルパ Living Nine

西塔と東塔の間にある騎馬像

午前中は一度退館して夕方に再入館。

カルロ・スカルパ Living Nine

カルロ・スカルパ Living Nine

カルロ・スカルパ Living Nine

大理石と鉄とコンクリートと光。

素材の使い方。視覚効果。試行をかさねた仕事に心酔。

 

 

ブリオン・ヴェガ墓地   サン・ヴィート

 

ラジオの修理工から一代で電機メーカーブリオン・ヴェガ社を築いたジュゼッペ・ブリオンの死を弔い

 

婦人が1969年にスカルパに依頼。

カルロ・スカルパ Living Nine

最寄りの駅をうっかり降り忘れ時間配分もあり結局タクシーで移動。

バスや徒歩で行くはずのたどり着いた感も味わえず。

カルロ・スカルパ Living Nine

カルロ・スカルパ Living Nine

すべてが精緻で宇宙的。

未熟な自分はひとまわりしただけでお腹いっぱい。

カルロ・スカルパ Living Nine

 

 

クエリーニ・スタンパリア財団美術館

財団の会長がスカルパに1Fと庭の改修依頼。

カルロ・スカルパ Living Nine

カルロ・スカルパ Living Nine

カルロ・スカルパ Living Nine

カルロ・スカルパ Living Nine

門の向こうの水路にゴンドラがすり抜ける。

 

 

オリベッティーの店(1958)

タイプライターでイタリアを代表する企業だったオリベッティーがスカルパに依頼したショウルーム。

1997年に同社の凋落とともに手放され土産物店として使われていたが

2011年に環境遺産として修復。昔のタイプライターもそのままに。

2回訪れたが、時間が合わず閉店状態、ガラスに張り付いて中を覗き込むばかり。

カルロ・スカルパ Living Nine

 

スカルパオンリーで濃い旅でした。スカルパ自身、日本建築好きで何度も来日。

最後は仙台で客死。

体に染み込んだものが少しでも仕事に染み出ればと思うのでした。