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india6 ROR co.,ltd(ロール株式会社)

バルクリシュナ・ドーシ(1927年生)  2018年プリツカー賞受賞

1951年〜1954年までパリでコルビジェの元で働き

アメダバードのプロジェクトを現地チーフデザイナーとして支えた

独立後はルイス・カーンとも仕事をした

サントガ設計事務所1980年完成

サントガとは共に歩むという意味

若い設計スタッフが丁寧に案内してくれた

写真は外部のみ許された

ガンディー労働研究所のようなインドの寺院建築に倣ったフォルム

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屋上に定期的に水をオーバーフローさせ熱を取り除く

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内部は半地下のレベルで細かくスペースが分けられ天窓から柔らかい

光が降りてくる

丁寧に案内してくれた彼に好きな建築家は誰かと尋ねると笑いながらフランクゲーリー

と答えてくれた

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C・E・P・T (建築大学)

Center for Environmental  Planning and Technology

バルクリシュナ・ドーシ

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インドの土着的な赤煉瓦。農村部で見た民家と同じコンクリートの臥梁と赤煉瓦

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昨年竣工した新校舎

陽射しを制御するルーバーが付いている

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インド経営大学 I IMA   (1962〜1974)   ルイス・カーン

時刻午前10時

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この建築の直前の仕事 ソーク生物学研究所(1959〜1965)の神殿のような建築をシンメトリーに配置  その間の広場をバラガンに相談して『作庭としては何も要らない』 と忠告に従い時間の止まった空間が生まれた。

 

バラガンが影響を受けた画家ジョルジュ・デ・キリコ。

 

上の写真は『通りの神秘と憂愁』を思い浮かべるような印象

 

 

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ガンディー労働研究所

バルクリシュナ・ドーシ(1927年生 2018年プリツカー賞受賞)

インドの伝統的な寺院建築に倣ったボールドの屋根

この屋根の形は自身の設計事務所サントガも同じだ

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広い施設だが内部に職員が十数名程

外部者の姿は見えず静かな空間を自由に歩いた

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全ての窓に天色のカーテンが吊るされていた

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ショーダン邸  ル・コルビジェ

個人所有のため、外回りのみ見学が許された

猿が門番をしていた

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ガーデンライトもコンクリートで製作されていたが今は機能していない

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インドの強烈な陽射しを調整する設備を建築に組み込んだブリーズ・ソレイユ

本来、仏語で『太陽を砕く』という

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内覧は出来なかったが、この面の内部写真はロンシャン教会のようだった

 

 

 

繊維業会館  ル・コルビジェ

予約の上、内覧することができたが書記長からは

『写真は外部から1枚ね』 と念を押された

 

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サンスカル・ケンドラ美術館  ル・コルビジェ

コルビジェが設計した3つの美術館 このサンスカル、東京の国立西洋美術館、インドのチャンディガル

モンスーンの影響と修繕無しのため内部は荒れている

危険なところもあるが手付かずな状態だ

美術品とはかけ離れたものも展示されて

まるで誰も来ないフリーマーケットの様相だ

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インド北西部グジャラート州パタンにあるラニ・キ・ヴァヴ(女王の階段井戸・2014年世界遺産)へ

 

11世紀ソランキ王朝の王妃ウダヤマティが亡くなった王を忍び建設。グジャラート州は慢性的に水が足りてないので階段井戸が多く見られるが、ここが州最古で規模も大きい(奥行き64m幅20m深さ27m)。13世紀にサワラティ川の氾濫で20世紀まで泥土で埋没していた。

 

事務局から入って見回しても広大な芝があるのみで井戸は見えない。

 

暫く歩くと井戸が現れ、その大きさに足が止まる。

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7層あるが4層目で制限があり下まで降りられない。ヒンズー教の神々や物語が精緻に彫られている。砂岩なので彫刻しやすそうだが風化も早い。埋没期間の長さが現在には幸運だった。

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ここは観光地としては飛び地なので観光ツアーから外れる事が多いらしい。車移動で3時間かかったが往路、店で休憩しているとターバンから全身パープルを身に纏った現地の年配男性がエナジー溢れる眼光で見詰めてくる。子供の頃テレビで見ていたプロレスのヒール役タイガー・ジェット・シンそのものだ。食べ物を手に近づいてきて『どこから来た、食うか、俺の家にくるか』。指や胸には金の装飾品が沢山つけられている。地元の資産家らしい。いや大金持ちがぴったりだ。先を急いでいたので断ったが旅の本文はこうゆうところにあるので断ったことを後悔した。

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ムンバイからバラナシへ

 

ローカルで時間の流れもゆったりと感じるが、ムンバイ空港と同じくセキュリティーに軍人が配備されている。バラナシも観光地化されてきているのか新しい4車線道路も近くまで貫通されている。宿までのタクシーはアクセル全開で時折逆走してくる車両もあり体に力が入る。

 

宿に荷物だけ預けて陽が沈む前にオートリキシャーでヒンズー教の聖地ガンジス川流域を目指す。時々運転手の横に運賃フリーで地元の人が乗車してくる。ボリウッド音楽を大音量で流しながら駆ける。ガンジス川が近ずくにつれ大混雑になってくる。日本の元旦初詣の人混み並みを車、バイク、オートリキシャーが行き交う。身体感覚がいいのか不思議と誰もぶつかったりしない。

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陽は落ちたが、礼拝には間に合った。欧州からの観光客が多い。1時間ほどの礼拝を舟に乗って見ていたが、そのエネルギーに放心した。

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翌日、朝から舟を出してもらい聖なる火葬場のマニカルニカー・ガートを眺める。木を焚べて死者が荼毘にふされる。近親者が泣くと焼く時間が長くなると言われ輪廻からの解脱を信じて待つ。風もなく煙が真っ直ぐ登る。近くで沐浴する人、クリケットの真似事をする子供達。死者が灰になると川に流す。全てに境界がない。

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川の中洲は、もう暫くすると雨量が増して川底に沈む。

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町中を歩くと犬が多い、犬種は1種類で色が違うくらいだ。

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牛ともよくすれ違う。

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2015年のネパール大地震の時に南方に位置するこの地も災害に遭った。ほとんどの家屋が煉瓦積なので倒壊した民家も見受けられた。

 

食事は衛生的な伝統料理の店よりも、ここ大丈夫か!と思わせる店の方が美味い。胃腸の弱い自分は幸運にも1度も腹は下さなかった。

 

町中を西に移動しガンジス川に戻る、サリーが干されていた。

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河岸の倉庫の屋根、オクタゴンを中心に鑿切された石を組み合わせ鎹で結ぶ。

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インドへ  ムンバイからバラナシ。またパタンにある階段井戸ラニ・キ・ヴァヴ。2018年プリツカー賞のバルクリシュナ・ドーシ、ルイスカーン、コルビジェの建築群のあるアーメダバードを巡ってきた。

 

6月から10月まで雨季に入る。豪雨のため出発前日にはムンバイで災害や空港閉鎖などの情報があったが翌日には小康状態となりムンバイ空港へは無事に着いた。現地到着後、もたつきながら予約した宿に向かったが『ここはインディアしか泊まれない』と取り合ってくれない。すでに深夜0時も過ぎて周りは退廃的な場所。いきなり野宿かと諦めかけながら隣の施設らしい建物をノックすると年配の男性が出て来てくれたがヒンディー語なのでよく解らない。『俺が宿を探してやるよ』的な感じだったと思うが男性の仲間がバイクで2人やって来た。呼んでくれたタクシーに『乗れ乗れ』と言うがままに。バイクで先導されながら親切なのか何なのか、よくわからないまま30分走り回った後、ビルの1室に通された。男が沢山居る。ああ運がなかったと諦めかけたが・・『ここに泊まれ』と言ったと思う。高い請求だったが野宿より随分ましだった。

 

朝、一室から見える風景はブルーシートのスラム街と真新しいビルの混在。道には飲食の廃プラがかなり散乱している。人々の往来とクラクションの音、牛、犬、駱駝、象、猿、栗鼠、万物が一体となる。オートリキシャー に乗って町を駆けると気分が高揚してくる。

 

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ムンバイ南方の岬、インド門へ向かう。海に浮かぶガラプリのエレファンタ石窟群へは時化で船が出ず断念した。

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タージマハル・ホテルの建築が見たくて宿にした。前日の件もあり、あまりの心地良さに昼間から爆睡してしまった。インドのタタ・グループ創始者ジャムセットジ・タタが1903年に開業。インド建築家が西洋新古典主義建築とインドの伝統様式を融合させた。パリ万博のエッフェル塔を見たタタが同じ鉄骨を発注し、今もホールの天井を支えている。2008年の同時多発テロでホテルが占領され多数の客、スタッフが犠牲になった。

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