森の墓地をあとにしてセントマークス教会へ歩いて移動、途中地元の人たちが集まる小さなレストランで昼食を取り
90分程でたどり着いた。


要塞 歪む煉瓦 謙虚で限りなく無口

牧師さんが出てこられ教会の冊子を手渡してくれた
教会内を案内してくださりあとは自由にしてくださいと親切にして頂いた
冊子には教会の工事写真に設計者レヴィレンツの老齢の姿があった
前屈みになり煉瓦の積み方をとても気にするように写っていた


感情が深く潜るように作用する

レヴィレンツの設計事務所に在籍していた所員の回顧録があった
「自分の仕事が終わり帰る時にはレヴィレンツは何時も机に向かい背中を向けていた
朝出社すると何時もそのままの姿だった」

聖堂の椅子に座り内部を見回している時に広島にある世界平和記念聖堂を思い起こした
晩年の村野藤吾が白髪を靡かせ小さな庭石を水の中に消えていくように見せようと
石を触っていた 靡く白髪は枯れたススキのようで・・・と綴っていた記事も忘れられない
建築はデザインではなく祈りの積み重ねなのだ

セントマークス教会をあとにしてストックホルムにある宿に向かう
船舶を改造した船上ホテル

対岸にはエストベリのストックホルム市庁舎が見える

就寝中、何度となく厚い氷が船にあたり鈍い音が響くが、それもまた心地いい

空路スウェーデン 森の墓地へ グンナル・アスプルンド/シーグルト・レヴィレンツ
広大な墓地の中、人影もなく何度か写真で見た起伏のある場所を歩く

左が聖十字礼拝堂とさらに奥に森の礼拝堂
右の直線の奥に復活の礼拝堂が、かすかに見える

森の礼拝堂の前の簡素な潜り

森の礼拝堂(アスプルンド) 土地に根付く農家や教会を感じさせる
ちょうど式が執り行われていた

長い道の奥にある復活の礼拝堂(レヴィレンツ)


春を迎える前で自然も休止状態で炭色の空から霧雨が降る

最初は聞いていた程に感銘も感動も無かったが、長い時間身体に任せ歩いていると、この広大な土地と抜けた空、深い森の風景がもうこの世にはいない故人が別世界で分かれているのではなく同じ自然の中に同居している感覚になるのではないかと感じた
過度な建築が必要な訳もなく、ただ小さな墓標の下にいるだけではなもない、生きる人のための回復と対話の場所。

ルイジアナ近代美術館へ

コペンハーゲン中央駅から最寄駅まで30分で下車、そして住宅地や並木の間を抜けて15分ほど歩く。

邸宅を改修しているので看板やモニュメントがなければ美術館とは感じられないほど入口は小さい。


建築は孤を描きオーレンス海峡に開いた中庭を抱く。地下階から地上階へと無尽の作品が並ぶ
自然と建築が分かれなく融合され、鑑賞に疲れた頃に自然を感じられる心地良い場所が現れる。
邸宅として使用されていたときの設計も体感してみたいと思わせる。

ジャコメッティも多く並ぶ

今回のメイン展示はFirelei  Baez  ドミニカ出身
バエズのテーマは西洋の犠牲となった名も無いない人たちの物語。
醜怪なインパクトもあるが、美術館に1日居て何度もそこに戻るほど惹かれた。
小さな習作も多く展示されていた。

スウェーデンを向こうにオーレンス海峡は一日の中で色々な表情を見せてくれた。


2月末にレヴィレンツの建築を主体に巡ってきた。今更ながら掘り起こしてみた。
コペンハーゲン国際空港からコペンハーゲン中央駅に。 雨。この先も当分雨時に曇り
傘をさして、まずグルントヴィークス教会まで1時間程かかるがとぼとぼと歩いてみた。

家船が何艘も係留中 船舶のフォルム良く、尚居心地良さそう

寄り道の果て2時間かかりグルントヴィークス教会 屋根改修中 


装飾も華美なものはなく様々な建築様式が統合されている
ステンドグラスも取り入れられず、ただ黄色い煉瓦一色の重なりによる重量と密度が
深淵さを生んでいる。

虚をつくる


扇状地の開けた場所に先日、棟を上げた。後の屋根仕舞に2日間だけ、久しぶりに参加して見たものの
日射とサウナような湿度、7寸勾配の傾斜で力尽きた。大工を見て思う、毎日の積み重ねが大切なのだ。
引き続き気負って不完全な空虚を目指し作りあげたい。
話は変わるが、今日は大相撲名古屋場所千秋楽 新入幕で髷も結えない伯桜鵬の優勝決定戦
優勝ならば109年ぶりの快挙だったが豊昇龍の上手投げが素早くきれいに決まった。
土俵に上がる前の座する両者、豊昇龍は瞼を閉じ深い呼吸で上半身は動かない。
伯桜鵬は呼吸早く目線が動く。
番付という積み重ねに納得のいく勝ち負けだった。
神事でもある国技。相撲哲学を感じさせる所作、塩を巻くときの毘沙門天のような顔、負けた時の潔いお辞儀
精神は顔つきに現れる。