激烈な暑さに想う。崖に向かう成長主義、偏ったデータしか使わないGDP、繰り返す戦争、複雑で空虚な世界。
山口周に始まりジェイソン・ヒッケルからロビン・ウォール・キマラーへそれぞれの文献に従い連読してみた。
クリティカル・ビジネス・パラダイム /山口周
観念の枠の中でものを考えることしかできない。ほぼ疑いもしない「そうゆうものだ」「仕方がない」「あゝめんどくさい」
成長こそ正義だと時間とエネルギーを盲目に注ぐ。これは自身だ。
クリティカル(critical)は批判的・危機的。語源はギリシャ語「krinein]で「分かれ道」を意味する。
対義語はアファーマティブ(affirmative)で肯定的。ビジネスでは従来の価値観の延長線上に価値をおき
顧客の声に耳を傾け欲望を肯定的に受け入れ関連の利益を最大化させる。
この中には計画的陳腐化(早く壊れるようにする・修理はできないから早く買えという)も含まれる。
クリティカルビジネスでは価値観を批判的に考察し今までとは違う価値観を提案すること
社会運動・社会批判としての側面を持つビジネスであり社会変革の力さえ持つ。
そのような企業も紹介してあり、よく知る企業もあった。
「私たちの社会は、人々の心身を消耗させ、地球環境に甚大な負荷をかけながら日々、膨大な量の物品を世の中に送り出している訳ですが、これらの品々の中に、私たちが本当に次の世代の人々に是非とも譲り渡していきたい、私たちはこうゆうものを作ったのだと誇りを持って伝えたいと思えるようなものを生み出せているかどうか
美意識も倫理感もない大衆の欲求にルーズに適応することで生み出されたこれらの商品が、人々の生活の舞台である社会の風景を織り成し、子供たちがそれらの商品に日常に触れることで、感性はさらにルーズな方向へと教育され、美的センスの社会的なスタンダードは長期的にズタズタにされることでしょう」
基底には「遠くの他者」「未来への他者」への共感がある

資本主義の次に来る世界/ジェイソン・ヒッケル
子供時分、父親と車に乗って移動すれば全面にびっしりと虫が付き、それを掃除すことが自分の役割だったが
最近は長距離移動しても虫が付く量も比にならないというくだりから始まる。気候変動を基に人の在り方と成長主義の本質を問う。
1500年以降、西洋が南半球でしてきた搾取(強奪と人殺し)の歴史をその時々の思想家、哲学者の影響と結び付けながら
現代までの名残りと変わらぬ体質を解く。
その体質と増えすぎた人口はやがて後戻りできない気候変動の分岐点ジャガノートを迎える。
ジャガノートはヒンズー教ヴィシュヌ神の8番目の化身クリシュナの異名ゆえ圧倒的破壊力、止めることのできない巨大な力。
消耗し疲弊する成長主義。デカルトの二言論から脱出し人も自然の一部分であることに立ち返ることは
サブタイトルのLESS IS MOREの思想に還る。資本と貧困についても深い考察がある。
「資本主義のシステムは人間のニーズを満たすのではなく満たさないようにすることが目的なのだ」
「貧困とは、個人が余剰労働力を持たない状態、すなわち個人が財産を持たず、生計を立てるには勤勉に働き続けるしかない状態を指す。故に貧困は社会において必要不可欠な要素であり、貧困がなければ、国家とコミュニティーは文化的な状態を維持できないだろう。それが世の習いだ。貧困は富の源である。なぜなら、貧困でなければ人々は働かず、金持ちは存在せず、富の所有者たるべき人々にとって、改良、快適さ、利益は存在しないからだ。パトリック・コフーン(スコットランド)」

植物と叡智の守り人/ロビン・ウォール・キマラー
植物学者でありネイティブ・アメリカン/ポタワトミ族出身
文献からの流れなので前の二冊と同じ「遠くの他者」「未来の他者」が基底だが
ネイティブ・アメリカンの引き継がれた身体性のある教え、人だけが人にあらず、木の人、川の人と
全て同一線上のアニミズムが徹底して敷かれてある。
入植してきた西洋に強制排除され思想去勢をもされた世代の話から我が娘たちの話など自分自身の歴史を軸に
植物の驚くほどの能力、植物同志の互恵性、植物と人の互恵性を植物学者の知識とアニミズム精神で解く。
自然の表現の描き方が、とても美しい。目前に形と色彩、身体で感じられるような情景が広がりいつまでも頭に残る。
問題提起についても押し付けがましくなく、本来の人の立ち位置をそっと提示する。

以前工事した1次工事のタイムスケジュールを確認するため2021年のスケジュール帳を
開いたところ片隅にメモしてあった。ガンバレではなく、誰もがある谷の歩き方をやさしく示唆する。
やめないで続けることの大切さ
努力というと力こぶを入れて
頑張るイメージがありますが
時には細くなって流れが
消えそうになる中でも
その流れを絶対に消さない
そして続けていく
それが本当の努力だと思います
松岡和子さん(翻訳家 シェイクスピア全作の新訳に取り組む)

初めての晴天 スウェーデン国立美術館へ


「ミナ ペルホネン」の展覧会が期間中であり、ちょうど皆川さんが大きなキャンバスに描いていた
以前に記事で読んだことを朧げに覚えていたが皆川さんが19歳の時に
訪れた思い出の地。勝手に感慨深く背中を拝見していた。

夕方にはデンマークに戻り翌朝、自転車で街中を脚がパンパンになるまで漕ぎ尽くした。


nomaの新店舗へも建築を見るために立ち寄った。
レネ・レゼピ率いるノーマの葛藤の日々を描いたドキュメンタリー映画を100回以上は観たと思うが
凹んではエネルギーを注入していた ここを右に曲がればnomaがある

準備期間中と冬季ということもあり閑散としているが繁忙期を想像すると是非また訪れてみたい




森の墓地をあとにしてセントマークス教会へ歩いて移動、途中地元の人たちが集まる小さなレストランで昼食を取り
90分程でたどり着いた。




要塞 歪む煉瓦 謙虚で限りなく無口
牧師さんが出てこられ教会の冊子を手渡してくれた
教会内を案内してくださりあとは自由にしてくださいと親切にして頂いた
冊子には教会の工事写真に設計者レヴィレンツの老齢の姿があった
前屈みになり煉瓦の積み方をとても気にするように写っていた

感情が深く潜るように作用する

レヴィレンツの設計事務所に在籍していた所員の回顧録があった
「自分の仕事が終わり帰る時にはレヴィレンツは何時も机に向かい背中を向けていた
朝出社すると何時もそのままの姿だった」
聖堂の椅子に座り内部を見回している時に広島にある世界平和記念聖堂を思い起こした
晩年の村野藤吾が白髪を靡かせ小さな庭石を水の中に消えていくように見せようと
石を触っていた 靡く白髪は枯れたススキのようで・・・と綴っていた記事も忘れられない
建築はデザインではなく祈りの積み重ねなのだ
セントマークス教会をあとにしてストックホルムにある宿に向かう
船舶を改造した船上ホテル

対岸にはエストベリのストックホルム市庁舎が見える

就寝中、何度となく厚い氷が船にあたり鈍い音が響くが、それもまた心地いい


空路スウェーデン 森の墓地へ グンナル・アスプルンド/シーグルト・レヴィレンツ
広大な墓地の中、人影もなく何度か写真で見た起伏のある場所を歩く

左が聖十字礼拝堂とさらに奥に森の礼拝堂
右の直線の奥に復活の礼拝堂が、かすかに見える

森の礼拝堂の前の簡素な潜り

森の礼拝堂(アスプルンド) 土地に根付く農家や教会を感じさせる
ちょうど式が執り行われていた

長い道の奥にある復活の礼拝堂(レヴィレンツ)

春を迎える前で自然も休止状態で炭色の空から霧雨が降る
最初は聞いていた程に感銘も感動も無かったが、長い時間身体に任せ歩いていると、この広大な土地と抜けた空、深い森の風景がもうこの世にはいない故人が別世界で分かれているのではなく同じ自然の中に同居している感覚になるのではないかと感じた
過度な建築が必要な訳もなく、ただ小さな墓標の下にいるだけでもない。生きる人のための回復と対話の場所。